「精神科で『症状は落ち着いていますね』と言われたけれど、日常生活の辛さは何も変わらない…」
「処方どおり薬を飲んでいるけれど、将来への不安や社会から取り残された感覚が消えない…」
精神医療や看護・福祉の現場では、このような問いに直面することが少なくありません。
今回は、精神科医であり医療人類学者でもあるアーサー・クラインマン(Arthur Kleinman)が提唱した「Disease(病気)」と「Illness(病い)」の違いという概念をご紹介します。
この視点を知ると、医学的な診断や治療(Disease)と、当事者が抱える生活の苦しみやケア(Illness)のあいだにどのような違いがあるのかが見えてきます。
「Disease(病気)」と「Illness(病い)」の決定的な違い
クラインマンは、私たちが普段ひとくくりにしがちな「病気」を、明確に2つの概念に分けて整理しました。
1. Disease(病気):精神医学が捉える生物学的・症状的診断
・定義:精神科医や医学がICDやDSMなどの診断基準で診断する「客観的な病気」
・具体例:うつ病、統合失調症、発達障害、不安障害という診断名や、脳内の神経伝達物質のバランス、薬物療法による症状の消滅
・目的:診断・処方・症状の抑制(Cure)
2. Illness(病い):当事者が生活の中で体験する生の苦しみ
・定義:当事者や家族が日常生活の中で体験し、悩み、意味づける「主観的な苦しみや生きづらさ」
・具体例:「なぜ自分がこうなってしまったのか」という葛藤、働けない・外出できない生活上の困難、地域での孤立、偏見(スティグマ)への恐怖
・目的:納得・生活の再構築・リカバリー(Care)
たとえば、「うつ病」という診断や「眠れるようになった」という症状の変化はDiseaseです。しかし、「今までできていた仕事や家事ができない」「自分は社会の役に立っていないのではないかという絶望感」はIllnessです。
なぜ精神医療や福祉の現場で「すれ違い」が起きるのか?
診察室や支援の現場でコミュニケーションのズレが起きる原因の多くは、この2つの視点の違いにあります。
・医療側の視点:「処方どおり薬を服薬し、精神症状(Disease)を落ち着かせること」を重視する
・当事者側の視点:「自分の生きづらさ(Illness)や、これからの生活・居場所について分かってほしい」と願う
医師から「服薬を続けて症状も落ち着いているので順調ですね」と言われても、当事者が「少しも良くなっている気がしない」と感じてしまうのは、医療側がDiseaseを見ており、当事者がIllnessを生きているからです。
精神看護や地域福祉が果たす「Illness(病い)」へのケア
精神看護や地域福祉(訪問看護、精神保健福祉士、訪問支援など)の役割は、単にDisease(病気や薬の管理)をチェックすることだけではありません。
当事者がこれまでの生活や人生で何を感じてきたのか、これからどう生きたいのかという「Illness(病いの語り)」に耳を傾け、ともに生活を組み立て直していく(リカバリーしていく)ことにあります。
当事者が自らの苦しみに意味を見出し、地域社会の中で自分らしい生活を取り戻していくプロセスこそが、本当の意味でのケアになります。
さらに深く知りたい方へおすすめの本
クラインマンの思考を深く知るには、彼の代表作である以下の書籍がおすすめです。
『病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学』(アーサー・クラインマン著)
精神科医としての臨床経験と人類学の知見から、慢性の病いや心の苦しみを抱える人々の生の語り(ナラティヴ)にどう耳を傾けるべきかを問いかける名著です。
おわりに
「Disease(病気)」と「Illness(病い)」。
精神医学的な診断(Disease)ももちろん大切ですが、それ以上に当事者が生きている日常の苦しみや人生の背景(Illness)に目を向けること。
この視点を持つことで、精神医療・福祉に関わる人はもちろん、家族や周囲の人にとっても、当事者への向き合い方がより豊かで優しいものになります。
『study and life』では、今後もこうした「医療・福祉・人間を新しい視点で見つめ直す学び」を発信していきます。

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